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定宗(ていそう、923年 - 949年)は第3代高麗王(在位:945年 - 949年)。姓は王、諱は尭、諡号は至徳章敬正粛令仁簡敬庄元文明大王。父は太祖、母は神明順聖王后劉氏。恵宗の異母弟で光宗の同母兄。945年、王規と王式廉の政争で王式廉が勝利し、その後ろ盾で王座についた。だが実権は王式廉に握られ、在位わずか4年で病死した。 == 家族 == *文恭王后(朴 英規の娘。太祖第17妃東山院夫人朴氏、文成王后と姉妹) *文成王后(朴 英規の娘。太祖第17妃東山院夫人朴氏、文恭王后と姉妹) *慶春院君 *公主(名は不明) *淸州南院夫人 金氏(金兢律の娘。恵宗の妃 清州院夫人金氏と姉妹) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「定宗 (高麗王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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